大機院の墓地に藤原忠通と孫の良経(後京極摂政前太政大臣)が並んで永眠しています。
もともと忠通の墓は現在のところよりさらに東山山麓の泉山麓すなわち現在の日吉ヶ丘高校の西側にあったものが移設されたと伝えられています。
忠通が法性寺の墓地に永眠してから830年、東福寺が創建(1236年)されてから770年が経ちました。
綾小路の東洞院第が跡形もなくなってしまった今となっては、忠通を辿れる遺跡として唯一の場所と言えるかも知れません。
住所:〒605-0989 京都市東山区本町15丁目798
住職:岡根方春
霊雲院は明徳元年(1390年)に傑僧岐陽方秀によって開かれ、
はじめは不ニ庵と称していました。
第七世の湘雪守は、肥後熊本の人で、
藩主細川忠利(三斎の子)と親交があり、
その子の光向は湘雪和尚にあつく帰依されていたのです。
和尚が霊雲院(不ニ庵)に住職される時、寺産五百石を贈ろうとしましたが、
「出家の後、禄の貴きは参禅の邪鬼なり。庭上の貴石を賜はらば寺宝とすべし」と
申されたのです。
そこで細川家では、「遺愛石(いあいせき)」と銘をつけ、
須弥台と石船とを作っておくられたのです。これが遺愛石なのです。
本院は幕末に勤王僧月照忍向と西郷隆盛が密議を交した維新の一齣を持ち、
日露戦争中はロシア人捕虜収容所にもなった歴史をも持っています。
住所:〒605-0981
京都府京都市東山区本町15丁目801
住職:岡根方春